2016年04月27日

糠漬けの季節

遅ればせながら北の大地にも桜が咲きました。
桜
なにしろ何もかもいっぺんに咲いてしまう北の大地のことゆえ、
いつまでたっても花の種類に自信が持てないんですが
桜であってますかね?これは梅じゃないですよね?

「あれ、つぼみがついてる…」
と思ってから咲くまでの期間がいつもに増して早かった気のする今年でございます。
きっと夏まで百花繚乱のままあっという間に駆け抜けるんでしょう。

猫
↑食卓の上に猫が乗ってるときは追い払うルールにしているものの、あんまり春の日差しが心地よさそうなのでつい見て見ぬふりをして許してしまう、人間の尊厳にとってなんとなく気まずい一瞬。

今年も、野菜の安い季節になってきたのでまたぬか床始めました。
ここのところ、ほぼ毎年新しいぬか床を作ってるような気がします。
糠漬け
何度も何度も作り直して思うことには、
ぬか床、難しいといえば、難しいし、簡単と言えば簡単なもんですね。
「一度作ったら一生モノっ!」とか力まずに、いろいろ試行錯誤して、どうもあんまりうまくいかないようだったら秋に廃棄して、また次の野菜の季節が来て気がむいたら新しくはじめればいい、
っていうくらいのテンションでやると、そんなに手入れのやっかいなこともないようです。

とはいえ、その一方で、「めちゃめちゃ美味しい糠漬けが食べたい!」と思い始めたら
やっぱり理想的な状態を保つ勘をつかむのって、やっぱりそれなりの修練が必要なので難しいんでしょうね。

私なぞはどうもついつい塩分を控えてしまう癖があるのですっぱくなりやすくて
今時分はそれでもなんとかなるのですが、真夏になってくると、なかなか管理がおっつかなくなるんだろうなあ、という予感が今からしております。
今年の目標としては、適切な塩分量の勘を掴むこと、ですかね。


糠漬けに加えて、近頃は「やたらに具の多い味噌汁」に目覚めました。
だいたい、三種類の出汁、十種類の具、二種類の味噌、を使ってど迫力の具だくさん味噌汁を作り、
必然的に量も鍋一杯になるので2,3日持つのです。
とりあえずこのやたら野菜たくさんの味噌汁と糠漬けにご飯だけあれば、まあいつお腹すいてもそこそこまともな食事ができる、というので、便利なもんですな。
なんとなく、仕事の合間などにこういう手のかからないありあわせの食事をさらさらっとしてると
「あたし今、落語っぽい!」
と思ってちょっと嬉しくなるのもどういったものかしら。


そんなわけで、近頃は糠漬けの出てくる落語が好きでよく聴いてます。
メジャーどころだと「酢豆腐」あたりもいいですが、
「包丁間男」なんかも、好きですな。


江戸の頃はこれほど当たり前に、どこの家でも美味しいぬか床があったもんなんですかね。
台所が涼しかったのか、陶器の甕の通気性がよかったのか、ぬかの鮮度が違うのか。
なんか秘密があるんじゃないかなー、と思いながら
心もち酸味の強いきゅうりをかみ締める、心地良い春なのです。

←日の出の時間も早くなったので、早朝に猫がおでこをザリザリ舐めて起しにくるのです。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | うちのぬか床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

心安い神様の話

春でございますね。
とうとう我が家の前の、ほんのわずかの土地にも土筆が顔を出しました。
良い陽気です。

土筆


最近、Amazonビデオで「まんが日本昔ばなし」を、延々と見ているのです。
何度見ても本当に面白いなあ、と思うのですが、
最近はとりわけ、神様と人間の距離の近い話が、なんだかしみじみと楽しい。

Amazonビデオ まんが日本昔ばなし
Amazonビデオ まんが日本昔ばなし

「貧乏神と福の神」なんか、子どものころからわりあい好きな話として記憶していたものの、
改めて今見直すとすごい話ですよね。

ある男の家に貧乏神が住みついていて、
働いてもうまくいかないので仕方なくちょっと怠け者になったりしてる。
ある日この家に働きものの嫁さんが来る。
なんとなく、ふたりともせっせと働きはじめる。
そうすると暮らし向きが少し良くなってくる。
そうこうしてるうちに、ある日貧乏神が天井裏でしくしく泣き始める。いわく、
「お前たちが一生懸命働くからもうワシは出ていなきゃいけない」。
貧乏神を気の毒だと思った夫婦は、
それは気の毒だからだからそのままここに住んでなさいな
と、貧乏神を勇気付け、
交代するためにやってきた福の神を力を合わせて追い出しちゃた、
という話。

なにそれ。
貧乏神と福の神


面白いのはどうも「神様を大切に」みたいな話ともちょっと違うんですよね。
言ってみれば、人間が神様を差別して選り好みしてる、ということでもあるし。
貧乏神と福の神を選ばないといけないような状況になって
まったくなんの理由も合理性もなく(というかむしろ選ぶべきでない合理的な理由はあるのに)逆の選択をし、
「一生懸命はたらいても貧乏なままなのは、自分のせいでなくって、この状況がそもそも神様なのだっ!」
という謎の境地におちついて心平らかに暮らしてしまう、という。

納得のいくようないかないような、変な話ではあるんだけども、
一人でじっと手を見てた石川啄木より
せっせと働く一方で、開き直って手厚くすればするほど御利益から遠ざかる神様に手を合わせてるほうが、
なんか楽しそうだなあ、と思ってしまったりするのでした。
合理性というのか欲というのか向上心というのかわかりませんが
近頃の社会ではむしろ放り投げちゃいかんとされているナニモノカを放り投げる飛び道具としての神様のパワーやたらすごい。

神棚
↑たまらない神棚萌え。ご飯とかお水とかを毎日あげる”おままごと感”もぐっと来る要因かもしれない。

ということで、昔ばなしを見ているうちに
自分も、身の丈にあった神様と仲良くねんごろに暮らしたい気持ちがむくむくとわきあがってしまい、
ついにうちにも神棚が出現してしました。
白蛇
↑遠いのはカーテンレールの上だから。そしてツーバイフォー建材の端材の上でもある。スミマセン

私が巳年なのもあって、白蛇の御神体。
朝、目が覚めたときに、拍手打ってると
なんとなく、生活のリズム感として気持ちよくて気に入っているのです。

うちあたりに来てくれる神様となれば、そうそうご立派であられる心遣いはなかろうと思いますが、
それでも、なんとなく心安く朝晩ご挨拶できるようなものが住んでくれるとちょっと嬉しいお年頃。
(こういうことしてる年寄りっぽさみたいなものに、実はちょっとうっとりしている)



←それでも、一生懸命働きなさい、というのがわりとどの昔話にも共通の価値観だったりはするところがまたいいのよね。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

盗んだバイクで走られて。

最近うちの猫がますますよくしゃべる。
猫
遊んでほしい、という気持ちは痛いほど理解できはするものの
ちょっと手が離せないので無視していると
「にゃーん?にゃーん?にゃーん?……ふーん?」
という、四拍子で話をしてくる。

ちょっとマンネリを打破していくと注目を浴びやすいということを
猫ながら身につけてきているところがいじらしい。
こいつは大変に成長している。

しかしそれでも、人間には多少のしがらみがある。
生きていくには、やらねばならぬことが無限にあるのだっ、
とばかりいばって猫を無視してパソコンに向かっていると
今度は我が家で唯一、猫立ち入り禁止区域として指定されている
食卓の上に座りこんでドヤ顔で真正面からこっちを見ている。

食卓に上がることは我が家のルールでは絶対にイカンのだ。
手を叩いて大きな声を出し、怒った顔をして猫を追い払う。
猫は両耳を伏せ、たいへん美しい野性的な流線型を作って
全速力で駆け出す。
新幹線そっくりな長く伸びてつるんとした真剣な顔をした猫があっという間に視界から消える。

猫のことを見ていれば人間のことなんかだいたい分かる、と
たしか向田邦子がどこかで言っていた。

私も、やんちゃざかりの猫から学んだことがある。
注目を集めたい気持ちをこじらせすぎると、生き物はグレる。
二本足でも、四本足でも、グレる。

そうかそうか、すまんすまん。
君にとって大事な時間が、あとでいくらでも取り戻せると思ってた私が馬鹿だったんだよ。
グレなくてもいいから、先にちょっと遊ぼう。
猫の名を呼びながら、家の中をうろうろする。
今日も今日とて日が暮れる。

猫
↑「まっ、食卓なんて人間が見てないときは乗り放題ですけどねー」

←盗んだバイクで走り出すにゃんこの夜。
posted by 六条 at 17:00| Comment(0) | ちーちゃん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする