2016年08月26日

映画「ペット」〜いっそのことモンスター映画にしてしまうのはどうでしょう。



「ペット」見てきました。
悪くないんじゃないかな、という感じでありました(偉そうだな)。

ペット
→公式サイト映画「ペット」

実際に家に猫をひとりで留守番させて、
そのことを心配しいしい劇場にいる身の上としては、感情の敷居が異常に低くなってることは自覚ずみで立ち向かったわけです。
もう、なんなら劇場でなりふり構わず
「マックス頑張れ!」
と声を出してしまうくらい心を揺さぶってくれてもいいぞ、
と思って鑑賞にのぞみました。
「今日はそのつもりできたのでも本当はそんなに軽い女じゃないのよ」
の心意気で覚悟でございますわね。
その点で言うと、こちらの覚悟した度合いよりは、感情移入どころが少なかったのがちょっと肩透かしではありました。

ペット
↑今頃家で猫がこんな顔をしてるんじゃないか、と思いながら映画を見ているのである。

まずびっくりしたのは構造が「ファインディング・ドリー」にものすごくよく似てるのです。
(というかファインディング・ドリーから「障害と居場所」という大きなテーマを抜いた感じ)

以下、目につく共通点。
小さい者が本来自分が住む範囲をはるかに超えて大きな冒険をすること、
はぐれるもの、とそれを探すもの、と物語が二手に分かれて進むこと、
バディ(相棒)物であるということ、
動物ものなのにカーアクションがあるということ。
鳥がたいへん都合よく動いてくれて、いろいろ便利すぎること。
…などなど。

私はどちらの作品も、いい映画なのにちょっと感情移入がしづらい、
という感想を持ったのですが、その感想までよく似てたので
いろいろ整理しやすかったです。

双方に「動物ものなのにカーアクションあり」という、かなり思い切った演出までが共通していたことで気がついたんですが、
彼ら、なんでもできすぎるのですよね。
せっかく「小さい生き物が本来の生存する範囲を超えて大きな世界に出ていく」という話なのに、
その小さい生き物が、こっちの認識をはるかに超えてなんでもできたら、
あんまり心配やらハラハラドキドキやら、しなくなります。

なんでもできるスーパー生き物がスーパーな冒険をしてる、ということになってしまうと、
うちで私を待ってる、アホだけどかわいい猫への思いとはあまり重ならないんですよね。
自分のペットと重ならないなら重ならない動物物でも全然いいのではありますが、
ただそうなってくると、家に帰りたい、飼い主ケイティをひとりじめしたい、みたいなことで葛藤している飼い犬のマックスのキャラクターってなんなのか、ってことになりますしね。
スーパーな生き物の大冒険を見せるのであれば、むしろ思い切ってモンスターパニックにしてくれた方がすっきり楽しいのでよろしくお願いします、と思ってしまうのです。

ペット
↑蜜月生活に闖入してきた邪魔者デュークをなんとかしたい、というのが話の出発点ではあるのだけど、そのあとの冒険譚は行き当たりばったりだったので、どうも何考えてるのかわからない。

あとは、物語が二手に分かれてる理由がよくわからない、というのも似てるように思います。

迷子になってしまった主人公マックス恋しさで探しにいくのが、隣に住むふわふわ犬のキジェットちゃんなんですが、
この子はわりと尻軽キャラで、ある程度相手が誰でもいいんじゃないか、
みたいな描写ありますし、大冒険に乗り出してまでマックスを探す動機はちょっと弱い。

ペット
↑隣の窓からマックスに話しかけるギジェット。

一方探される犬のマックスのほうは飼い主のケイディ恋しさで家に帰ろうとしてるわけで、ふわふわギジェットちゃんのことは全然思い出しもしない。

と、するとどうしてこの二手で物語が進んでるのかが、よくわからずに、ただ散漫な印象にならざるを得なかったです。
さらには最後になんとなくマックスとギジェットが両想いっぽくなる唐突さも、感情の流れとして結構厳しい。

っていうか、私もともと話があっちゃこっちゃ行くとすぐ処理しきれなくなるくらい単純な頭脳しか持ってないので(ミジンコ並)、必然性ないのであれば話はあまりわけないでください、お願いしますっ!

ペットの動きとか、ふわふわの表現とか、そういうCGアニメの楽しさとしては抜群だったので、ストーリーにそんなにこだわらないで、場面場面で引き付けられて見ているくらいの年代の子どもには結構受けがよさそうだぞ、という気はしました。
まっしろふわふわなのに極悪キャラのうさぎとか、面白いですしね。

私にはもうちょっとだったけども、いい映画だったと思うよーっ。






←これをみたからには日本版野良猫アニメ「ルドルフとイッパイアッテナ」も俄然見たくなってきた。
posted by 六条 at 18:49| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

真夏の、そこじゃない。

お盆を過ぎたものの、台風がやってきたおかげもあって
またずいぶん日中の気温が高い。

猫が「ひんやりクール猫鍋」の前で伸びている。
猫鍋
そこじゃない。


当然だが、これが正しい。

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人間の事情も汲んでほしい。


夜、暑いのでポケモンGOがてら、涼みに行く。
よく通る道にも実は中央分離帯があるのを見つける。
まさか、こんな身近にあったとは、しらなかった。
中央分離帯
でも、たぶんそこじゃない。

←暑いと朦朧としてきていろいろ印象が曖昧になるのだ。
posted by 六条 at 18:19| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

心安い神様の話

春でございますね。
とうとう我が家の前の、ほんのわずかの土地にも土筆が顔を出しました。
良い陽気です。

土筆


最近、Amazonビデオで「まんが日本昔ばなし」を、延々と見ているのです。
何度見ても本当に面白いなあ、と思うのですが、
最近はとりわけ、神様と人間の距離の近い話が、なんだかしみじみと楽しい。

Amazonビデオ まんが日本昔ばなし
Amazonビデオ まんが日本昔ばなし

「貧乏神と福の神」なんか、子どものころからわりあい好きな話として記憶していたものの、
改めて今見直すとすごい話ですよね。

ある男の家に貧乏神が住みついていて、
働いてもうまくいかないので仕方なくちょっと怠け者になったりしてる。
ある日この家に働きものの嫁さんが来る。
なんとなく、ふたりともせっせと働きはじめる。
そうすると暮らし向きが少し良くなってくる。
そうこうしてるうちに、ある日貧乏神が天井裏でしくしく泣き始める。いわく、
「お前たちが一生懸命働くからもうワシは出ていなきゃいけない」。
貧乏神を気の毒だと思った夫婦は、
それは気の毒だからだからそのままここに住んでなさいな
と、貧乏神を勇気付け、
交代するためにやってきた福の神を力を合わせて追い出しちゃた、
という話。

なにそれ。
貧乏神と福の神


面白いのはどうも「神様を大切に」みたいな話ともちょっと違うんですよね。
言ってみれば、人間が神様を差別して選り好みしてる、ということでもあるし。
貧乏神と福の神を選ばないといけないような状況になって
まったくなんの理由も合理性もなく(というかむしろ選ぶべきでない合理的な理由はあるのに)逆の選択をし、
「一生懸命はたらいても貧乏なままなのは、自分のせいでなくって、この状況がそもそも神様なのだっ!」
という謎の境地におちついて心平らかに暮らしてしまう、という。

納得のいくようないかないような、変な話ではあるんだけども、
一人でじっと手を見てた石川啄木より
せっせと働く一方で、開き直って手厚くすればするほど御利益から遠ざかる神様に手を合わせてるほうが、
なんか楽しそうだなあ、と思ってしまったりするのでした。
合理性というのか欲というのか向上心というのかわかりませんが
近頃の社会ではむしろ放り投げちゃいかんとされているナニモノカを放り投げる飛び道具としての神様のパワーやたらすごい。

神棚
↑たまらない神棚萌え。ご飯とかお水とかを毎日あげる”おままごと感”もぐっと来る要因かもしれない。

ということで、昔ばなしを見ているうちに
自分も、身の丈にあった神様と仲良くねんごろに暮らしたい気持ちがむくむくとわきあがってしまい、
ついにうちにも神棚が出現してしました。
白蛇
↑遠いのはカーテンレールの上だから。そしてツーバイフォー建材の端材の上でもある。スミマセン

私が巳年なのもあって、白蛇の御神体。
朝、目が覚めたときに、拍手打ってると
なんとなく、生活のリズム感として気持ちよくて気に入っているのです。

うちあたりに来てくれる神様となれば、そうそうご立派であられる心遣いはなかろうと思いますが、
それでも、なんとなく心安く朝晩ご挨拶できるようなものが住んでくれるとちょっと嬉しいお年頃。
(こういうことしてる年寄りっぽさみたいなものに、実はちょっとうっとりしている)



←それでも、一生懸命働きなさい、というのがわりとどの昔話にも共通の価値観だったりはするところがまたいいのよね。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

新年あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
年末に、開けて数日の間は雪がたくさん降るらしい、という天気予報を聞いていたので
除雪三昧のお正月を過ごす気マンマンだったのですが
蓋を開けてみると、大変穏やかな日和で
予想してたよりずいぶんのんびりできたような気がする新年幕開けでございました。

年末に、いつもより少し大きなスーパーに行ったら
お正月っぽい食材がわりと安く売っていたので
なんとなく気分も盛り上がってそれらしいものを作り置きしてみたりしました。
正月

すぐ食べられて日持ちするものをある程度の種類作り置きしておくことがかなり好きなんですが、
これってリスがどんぐり蓄える系の、本能的なヤツなんでしょうね。
なんなら食べるより、こうやって作って並べてある状態を見てるときの方が好きだったりします。

大晦日夕方からそばなど食べつつ、ラジオで紅白歌合戦聞きまして、
ラジオで聞いても大して何が起こってるかわからないんですけども、
今まさに年が変わらんとしているのだぞっ、という気分を盛り上げるために聞いてしまうんですよね。
毎年毎年、律儀なもんだと思います。

蕎麦
↑「かしわ」と呼んで憚らない鶏むね肉の蕎麦。

なかでもトリの松田聖子が、あまりにも歌いだしをためるもんだから
だんだん歌が遅れていって、ついには「赤いースイートピー♪」の「スイートピー」だけを歌い飛ばしたくだりが
尋常じゃなくもやもやして盛り上がりましたですね。
何なんだ、赤い何なんだ。彗星のシャアなのか。

紅白聞き終えてから、普段からわりと心安くしてるご近所の神様のところへ行きまして
うちの猫が無事に育ったことをちょっとお礼してきました。
思えば一年前の大晦日ころはまだ毛布やらクッションやら、ふかふかしたものを見るとおしっこしてしまう
小便小僧だったのです。
およそ安心して目を離すこともできず、不慣れな子猫と私、二人してふらふらでした。
よく健康で立派な成猫に育ってくれたし、トイレごときのことであんなにプレッシャーかけたことを
本当に本当に申し訳ないと思っている、なんてことを思いつつ、
真冬の深夜の道をてくてくと歩くのが、新年らしく気分が改まる心持ちでいいものでした。

猫
↑2014年大晦日。まだ小便小僧だったころ。猫トイレを巡る確執が我が家に渦巻いていた。

明けて元旦の朝、近所のおもち屋さんで買ったおいしいおもちで作ったお雑煮を食べつつ
オンデマンドで紅白を鑑賞。
よっぽど紅白好きの人みたいになってますけど、ラジオだけ聞いてると、結局映像も見たくなるのですよね。
ラジオでは全く分からなかったけども、
パフォーマンスはPerfume と椎名林檎がすごくよかったなあ、と思いましたのです。

猫
↑2015年大晦日。こんなに(態度が)大きくなってしまいました。

今年も、穏やかに年が越せて本当にありがたいことだなあ、と
しみじみ思うお正月でありました。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

←初夢はあまりちゃんと覚えてないんだけど、モテた夢みました。起きた時にちょっと薄笑いになってるやつ(恥ずかしい)。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

王様の鉄は釜の鉄。

2015年も暮れということで
各方面で今年の重大ニュースなど振り返っておりますね。

今年の振り返りはその道の人に任せるとして、ここ最近で私が面白かったニュースは
「ひじきの鉄分は実は製造工程の鉄釜由来のもので、ひじき自体はあんまり鉄分なかった」
といういい具合に気の抜けるニュースです。


ひじき
→産経新聞社「ヒジキ「鉄分の王様」陥落 食品成分表、5年ぶり改訂 」


この話を聞いて何を思ったかっていうと
「それで鉄釜の方は鉄分不足にならないのか」
ってことです。
鉄釜の鉄分だって限りない資源ってわけではないだろうし
何十年も延々とひじきに鉄分取られ続けると、最終的にどうなるんだろうか、ということが気にかかります
…やっぱり、この世からちょっとずつ姿を消していくのかしらん?

そう思いつつ、よく読むと
「製造に使う釜の多くが鉄製からステンレス製に代わった」と書いてあるので
やっぱり過去には数多の鉄釜がひじきのおかげでこの世から消えていった、ということになるんでしょうか。

ひじき、超すごくない?
もう鉄分どころじゃなくない?



猫
↑自分の身体から抜けた毛の玉で嬉々として遊ぶ猫。
毛が抜けても抜けてもこの世からちょっとずつ消えていっている様子はないので、猫は鉄釜より丈夫。

←ステンレス釜で昔ながらのひじきを煮たら、いずれ鉄釜になったりはしないのか。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする