2015年09月12日

「インサイドヘッド」〜スンスンを禁じ得ない

「インサイドヘッド」を見てきましたのです。
決壊しましたでねすえ。いかんいかん。歳なのか。

インサイドヘッド
→公式サイト「インサイドヘッド」

とは言え、さほどの期待をしないで見にいったのです。
だって、子ども向けアニメなのにキャラクターがかわいくないのですもの。
その時点ですでに結構失敗しているじゃないか、と思ってしまったりするのです。

っが、内容は本当にびっくりしました。
これだけ地味な内容を作る方も作る方だし、金出した方も金出した方だなあ、と思ったくらい変わった内容だったんですが、結果、なかなかほかにはないオリジナリティの高いアニメになっていました。

何よりも、監督のピート・ドクターが、情緒不安定になっちゃった娘をじっとよく見てその頭の中で何が起こっているのか正確に理解しようとする、その、おそらく監督しても父親としても困難な仕事をやり遂げたっていうのが、本当にすごいな、と思います。
どれだけ愛している娘でも、普通は
「11歳の女の子なんてわからんーっ!」
で、試合放棄するんじゃないかな、と思うんですよね。
別に、それで悪いわけでもなくって、どこの家の子どももある程度そういう感じで細かい部分は放擲されながら、
「まぁ、だいたいこんな感じかなぁ」
てな具合で育ってるもんだと思うのです(だって、たいていのお父さんとお母さんはただのおじさんとただのおばさんですもんね、今思うとね)。

それをピート・ドクターはきっと、自分も娘もしんどいところで腹据えて、とにかく娘の頭の中のことについて一生懸命考えたのでありましょう、もう、その人ひとりとしての胆力にすでに感動しちゃうわけです。
話は、普通に見ればライリーという娘の話なんですが、私は完全にお父さんの話として見えていました。


だって、考えてもみてくださいよ、監督がピートドクターということはこのライリーって、「モンスターズ・インク」の時のブーちゃんですよ。
一生懸命怖がらせようとしているモンスターたちに懐いてついて行っちゃう、あの何しゃべってるのか全然わからない小さな女の子。
モンスターズインク

あのブーちゃん、こんなに大きくなったのかっ!
っていうだけでも泣けて泣けて仕方ないですよ。
インサイドヘッド
小さいライリーちゃんが生まれてきて、ちょっとずついろんな思い出を作って性格が形作られていく、ちょっと悲しいことなんかがあると、お父さんがお猿の真似なんかして強制的に楽しい気分にしてしまえば、思い出は楽しいものとして作り変えることができたわけです。
「自分がずーっとそばに居て、思い出を全部見張って楽しいものに書き換えていってやればこの子はお姫さまみたいに、屈託のない明るいいい子になるぞぉ」
と、思ったのでしょう、きっと(もう完全に現実の監督の娘さんと混同して見ている)。

どんどん思い出が増えて性格が複雑になってくると、とうとう悲しみを「なかったこと」にするのではもう現実に太刀打ちすることができくなる年齢がやってきてしまったんですね。
インサイドヘッド
お父さんの気持ちで見てるこちらとしては、これはライリーの成長物語である以上に「親心の挫折」の物語でもあるんですよ。
「自分が守っていてやれば世界一幸せな子にしてやれると思ってたのに、もう守らせてもらえないかーっ!!」
って、これ、たぶん親として味わうものすごく大きな挫折ですよね。
考えただけで涙で明日が見えない。
ブーちゃん、あんなに無敵のお姫様だったのに、ブーちゃん……メソメソ。

アメリカ人の幼少期物語にはしょっちゅう出てくるおなじみ、イマジナリーフレンドも当然記憶の底の世界に登場してきますが、また象みたいな猫みたいな、わけのわからない、別にかわいくないキャラクターなのです。
でも、あのお父さんの娘のことだから、きっと生き生きとした物語を遊んでいたのでしょう。
インサイドヘッド
物語の筋立てとしては、このイマジナリーフレンドが出てきた時点で、
「きっとこのビンボンと決別して大人になっていくんだろうなぁ」
という流れが当然わかって見ているわけではありますが、いざビンボンが成長のための最後の勇気をヨロコビに分け与えて、その代償として記憶の底に沈んでいくシーンでは
もう涙を止める蛇口が見えない
むしろ、後ろの席に座っていたお母さんがスンスンスンスン泣いてるので、背中で励ましあいました。

成長していく過程で、ほんとうにキツい時にぎりぎりのところで戦う力になってくるのは、
何の役に立つんだろうなんてことも考えずただひたすら楽しくて夢中になった、いろんな思い出なんですよね。
だから子供にアレが役に立つの立たないの、なんて大人が知恵をつけるのはオロカことなのだっ………いかん、書いてるだけで泣ける。


もうトレイラー見るだけで泣けるようになったので大変安上がり。

ストーリー開始前にまったく何の脈絡もなくも挿入される、完全に無関係なドリカムの歌以外は、大変素晴らしい映画でした。

←ただいま絶賛子育て中のお父さん、DVD待ちでいいのでぜひ見て感想くださいな。そこのあなたですよ、あなた!
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | 映画とDVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月04日

根こそぎ、丸洗い。

猫のトイレの丸洗いを、週に一度くらいの頻度でするのだが、
それってたぶん、猫飼いの中でも比較的マメにやっている方じゃないかな、と思っている。あまり根拠はないのだけど。
猫
マメにする理由はいろいろあって
猫を飼い始めてから時々蕁麻疹が出るようになり、猫アレルギーの疑いを持っていること。
ペットに縁のない公団育ちなので、生活圏の動物の毛や匂いに敏感なこと、
すごく安い猫砂を使っているので少し古くなるとちゃんと固まらなくなること、
などいろいろ言える。
でも、たぶん一番根本的な理由は、私がもともと
「丸洗い」とか「根こそぎ」とか「隅々まですっきり」とか「驚きの真っ白に」
そういうタイプの、いわばミソギ系の掃除がとても好きな性格なのだ。

一週間使った猫トイレを持ち上げるときは、「汚れたもの」を持ち上げている意識があるのだけど
それを玄関まで持っていって中の砂を全部あけ、
アルコールを盛大にぶっかけて拭き取り、新しい砂を入れると、もうその猫トイレは「ちょっと誇らしいもの」にとって変わる。
猫は必ず玄関までついてきて、その全部を見届ける。
アルコールスプレーで酔っぱらうからあっちに行きなさい、といっても絶対にそこを離れることはない。
そして、所定の位置にトイレを戻すと、
「はいはい、仕上げですよ」
という感じで、そのまますぐに中に入ってごそごそした後、おもむろにおしっこをする。

せっかく洗い立てのトイレを洗った端から使うんだから……
と毎回ちょっと苦笑する感じで見てるのだけど、
なんとなく、二人の共同作業的な雰囲気もあり、それはそれで嬉しくもある。

ところがこの夏の間、ちょっといろいろ都合が悪く
しばらく猫砂を買いにいくことができなかった。
週に一度のトイレの掃除ができなくなって、そのぶん、いつもよりちょっと高くて固まり具合のいい砂を継ぎ足しながら使ってみることした。
どのくらいもつのかわからないので様子を見ながらだったのだけど
高い砂はやっぱり機能的でたいへん長持ちした。

ちょうど一か月くらい経ったところで
ある日急に、猫がトイレの真横に粗相をした。
うちに来たときばかりのころはトイレを覚えるのに苦労したけれど
ちゃんとできるようになってから失敗したことは一度もないのでびっくりした。

なんだいなんだい、どうしたの。
猫はなんとなくバツの悪そうな顔をして目をそらすようにしている。

砂はまだ十分きれいだったけれど、翌日、またいつもの安い砂をかってきて久しぶりに猫トイレの丸洗いをした。
猫は興味深げにじっと横で見ている。
砂を全部捨て、アルコールで全部拭いて、新しい砂を入れて、
ちょっと誇らしい気持ちでピカピカのトイレを元の場所に戻すと
待っていたように中に入って仕上げのおしっこをした。

ああ、そうか、この共同作業をしばらくやってなかったんだな、
と思ったら、なんだか急にちょっと悲しくなった。
今思い出したけど、ぴかぴかしたトイレを、君に自慢げに差し出すことは、
実は私の好きなことだったんだよ!



歌人の穂村弘のエッセイ集「世界音痴」の中の「切り替えスイッチ」という文章には、こんなことが書いてある。
 いわく、現実の世界のどんよりした気分の裏側に、きらきらした世界がたしかに貼り付いているのだ。それは簡単にスイッチが切り替わるほどの至近距離にあって、誰もがその存在を知っているのに、世界の切り替えスイッチはなかなか見つからない、のだと。

そして、とても印象的な短歌。

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい


世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

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狭い世界で毎日同じことばかりして暮らす私にも、世界をピカピカにするスイッチを探しておかないと
現実にちょっとずつにおいが染みついてくて淀んでくる感覚はわかる。
たったこれだけ、の小さな小さな人生をただ黙って生き続けることは、だるいせつないこわいさみしい。

……君もそうかい?
君もやっぱりそうなのかい?
猫


←穂村弘は真綿にくるまるように安心できる謎の気持ち悪さがあってとても好き。



posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする