2015年05月27日

そばつゆの謎 〜蕎麦うちじいちゃんが言いたかったこと

知らない蕎麦屋に入ったときは、ざる蕎麦を食べることが多い。
別に江戸っ子の蕎麦っ食いでもなんでもないので、ざる蕎麦ともり蕎麦のはっきりした違いもよくわからず
わからないんだから安いほうのもり蕎麦で十分じゃないか、といつも思うのだけど
いざ、注文をとりにこられると、急にもりでは申し訳ないような気がしてきて
心とは裏腹に、口が勝手に「ざるそば」と言っている。
一体、もり蕎麦の何が申し訳ないのかも判然としないままに、
毎回なんとなくざる蕎麦を食べる。

先日入った店は面白かった。
昼下がりの時間に飛び込みで入った小さな手打ち蕎麦の店は
がらっと引き戸を開けると店主とおぼしきおじいちゃんがたった一人、店の真ん中でテレビを見ていた。

なんだか招かれてもいないのに知らないじいちゃんの家の居間に迷い込んだような気分になってアワアワしていると
おじいちゃんが「いらっしゃいませ」と言った。
そりゃ言うだろう。蕎麦屋なんだから。

そこはおじいちゃん店主が一人でやってる店だった。
店の真ん中に陣取っているテレビの脇に高々と醤油の箱が積みあげてあるような店。
そしてテレビの下に、いつからあるのかよくわからない漫画雑誌が平積みになっているような店。

「ざる蕎麦をください」

おじいちゃんはテレビの前を離れて、蕎麦を作ってくれる。
かなりがっちりした田舎蕎麦、太さにかなりばらつきのある、そして箸で掬うのに苦労するくらいの短い麺だ。
蕎麦を作り終わったじいちゃんは、また先ほどの店の真ん中の席に座り、再びテレビを見始めた。
テレビは、日本の職人の技がどれだけ凄いか外国の人に説明してもらう、という自信あるんだか無いんだかよくわからないタイプの情報番組が流れている。
「はぁ、日本の職人は凄いねえ」
「いや、これは日本人でないとできないわ」
と、じいちゃんは素直に感心している。

どう考えても、私に聞かせたいのだ。
どう考えても、私と一緒にテレビが見たいのだ。
それはわかる。
それはわかるのだが、私は今ざる蕎麦を食べている。
ざる蕎麦を食べながらテレビを見たり話をしたりお愛想を言ったりするのは、すごく難しい。
しかも、じいちゃんの打ってくれた蕎麦は田舎そばとしても珍しいくらい短くて不揃いなので集中しないと箸に掛からない。
蕎麦は伸びる前に食べてしまいたいから、食べ終わってから話かけてもらえまいか、と思いつつ、一応相槌がわりにニコニコしながらうなづいたりする。
もう味がよくわからない。

「うちによくくる大学生の男の子がいてね」
とうとうじいちゃんは本格的にテレビから私の方に向き直り、本腰入れて方向性のわからない話を始めた。
「はい」
私は観念して、蕎麦に集中するのを諦め、じいちゃんの話を聴くことにした。
「うちに来るとまずめんつゆを、それ(蕎麦徳利を指差して)に四本をくらいくーっと飲むの」
「えっ?」
「それで四本飲んだら、そばを食べる。後で喉が渇かないかって聞いても、そんなことないんだって。」
「えーー、変わった人ですね」
「でも、他の店のは飲めないって。」
「へえーー」
「そういうお客さんが何人も居る」
「えっ?」
「でも他の店だと後で喉が渇いてそんなことできないって言うんだ」
「そりゃそうですよねえ」
あまりにも相槌に知恵がないとは思ったものの、話の方向性がなかなか見えてこないので突っ込むにも突っ込みづらかったのだ。

そうやって不思議な話を聞きながら、ざるの上に残った短い蕎麦を一本一本つまんで食べ終わり、
聞いてもいない店の定休日などを教えてくれて、なんとなく名残りおしそうにしているおじいちゃんを残して店を出た。

それきり、しばらくその話は忘れていたのだけど、数日経って脈絡もなく唐突にあの不思議な話の意味がわかったのだ。
じいちゃん、自慢してたんだっ!
あの時テレビでは、日本の職人技を無邪気に持ち上げる内容を放送していた。
じいちゃんは、きっと思ったのだろう、自分だって日本の職人だ、と。
だから、ことさらあの時同じ番組を見ていた私に、自分の作るそばつゆを褒めてくれる客が結構いることをアピールしたい気持ちになったに違いない。

そうかあ、そうだったのかあ……。
そのポイントが分からずに、ただ面白いお客さんエピソードなのかと思って
「運動か何かをする人だから、塩分を取りたいんですかね?」
とかピント外れたことを言ってしまって悪いことをしたなあ。
「本当にめんつゆ美味しいですね。ずっとこの味で作ってるんですか」
とか、そういう会話をしたかったんだろうなあ。
悪いことしたよなあ。
きっと、ちゃんと出汁をとってることとかにに触れてほしかったんだろうなあ。

でも本当のこというと、
かけ蕎麦ならいざ知らず、ざる蕎麦でごくごく飲める濃さのつゆを出されるとちょっと厳しいのよね。
さっとつけて食べるためには元々塩気が足りないうえに、後半戦でますます薄くなっていくから、しまいには蕎麦猪口の中で蕎麦をいったん泳がせないと味がしないくらいの濃度になったんだよな。
ひょっとして、常連さんたちは親切で、つけつゆはもうちょっと濃い目にしたらいいんじゃないの、って伝えるために、蕎麦食べる前にそのままぐびぐび飲んでみたりしてるんじゃないのかなあ。

……いいじいちゃんだったけど、味薄かったんだよなあ。
でも面白い店だったなあ。

←おじいちゃん、お蕎麦一筋60年だそうです。



posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

猫と愁嘆場

ほんの半年ほど前に手のひらにのるくらいのサイズでやってきたうちの猫が
もうほとんど大人の猫に見えることに気がついて、日に三回くらいびっくりする。


猫

一番成長を感じるのは、なんといっても階段を駆け下りている時だ。
来たばかりの頃は体重が軽すぎて階段の直角に折れているところを曲がりきれず
お尻ふりふり精一杯まっすぐな部分を駆け下りた弾みで
そのままいったん壁にめり込むようにオーバーランした後、
やっとのことで一時停止をして鼻先を壁にこすりつけるように曲がっていた。

見ようによっては毎回が命がけだったのであるけれども、
猫が一心不乱な様子ってのは、それはそれは可愛くて
階段を降りる猫を後ろからついていって観察するのが大好きだった(暇人)。
それがいつの頃からか自重を利用して減速をかけられるほどの体重に成長しており、
鼻っ面を壁にぶつける様子を、最近はとんと見ていない。

お尻を振りながら階段を駆け下りる様子は相変わらず一生懸命で
飽きもせず、かわいいもんだなあ、と感心するのではあるが
人間にとっては、いかほどの時の長さとも思っていないくらいの期間で
あっという間に成長するのはちょっと寂しくもあったり、そうでもなかったりして
猫の成長をだしに勝手な感慨にふける小芝居に毎日せいが出る。

そうかと思えば爪を切るの切らないので盛大に喧嘩をやらかしたあと、
夜中にふと、なんとなく冷たくされているような気がして不安になる。
歩き回る猫を四つんばいで追い回し
「ねえ、私のこと嫌い?嫌いになった?」
とすがりついては逃げられれるという愁嘆場まで演じる始末で
つくづく、猫を飼いたがる人間というのはちょっと感情的にだらしないのじゃないかと思う。


我が家のそばには探偵事務所があって、そこで警察犬を飼っているものだから
家の前を散歩する警察犬、というのをしばしば見かけるのだけども
思うに警察犬みたいな賢い犬を飼おうという気になったり、
大きな犬に毎日餌をやったり、一緒に散歩したりできる人ってのは
すごく感情の均整の取れた信用できる人なんじゃないだろうか。
なんという美しい信頼の情景と思っては、窓際で猫を抱いて震えつつ見とれることである。
「猫や、あれが警察犬とその主人という生き方だよ」

猫
↑引き出しから勝手におもちゃを出すんだから猫とて馬鹿ではない(出したらしまえ)

←いいから爪を切らせろ。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ちーちゃん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

「舌の記憶」 〜ドーナッツの名誉回復

ドーナッツは、荷が重い。

「ドーナッツ」という言葉から連想される、かなりポップで
芯が無く身軽にチャラチャラ身過ぎ世過ぎしてそうな印象に比べて
食べた後に胸と腹にノシッと居座る圧迫感にインパクトの差がありすぎて
どうも軽い詐欺に合ったような気になる。
あれほど、威圧的な後味を残してくるならドーナッツなどと気安く名乗らないで
もうちょっと重そうな響きの名前にしたがいいじゃないか。
なんか、「ベルベロヴァラコナスブッフォッフォ」とか。…わかんないけど。

「舌の記憶」というとっても後味のいいエッセイ集の中に「ドーナッツ作りにうってつけの日」という章があって、昭和30年代のドーナッツを取り巻く風景がとりわけ心に残る。

舌の記憶 (新潮文庫)

中古価格
¥1から
(2015/5/18 16:04時点)



心遣いとみみっちさと期待値において私の知る今時のポップで個人主義的なドーナッツとまったく違う、しんねりした晴れがましさが随所に匂う。

忙しい母の邪魔にならないよう、子ども心にも細心の注意で頃合を見計らってドーナッツ作りを提案する大人びた心遣い、
油きり用の包装紙を押入れの奥から出してくるのに、できるだけ地味な柄を選ぶ暗黙の「家ルール」、
ドーナッツ型で生地を抜いていく、という格別のイベント感、
油から出したドーナッツに砂糖をまぶしていくタイミングをじっと見計らう娘の、子どもなりの熟練、
最後にはまず仏壇にあげられる「家族ぐるみ臭」、
ドーナッツひとつに含まれる物語の総量が、なんだか凄い。
これだけ最新の心遣いのうえに出来上がっていくドーナッツというのは今はかえってあまり出会えないだろうなあ、という気がして、読めば読むほど食べてみたくなるのだ。

「今まで人生の中でドーナッツを食べたい、なんて思ったことなかったけどな」
と思いながらも、家にある材料だけであっという間に出来てしまうものであるから、ということで試しに作ってみる。
作ってみると、これがまた、ちょっとびっくりするほど美味しいのだ。

さくっ、かりっとして、売り物のドーナッツにおなじみの油くささは全然なく、
ただ小麦粉と砂糖を揚げただけの物体なのに、後を引く味と歯ざわりがする。

ドーナツ
Cpicon フライパンに油1cmで♪ふっくらドーナツ by Legelo

ドーナッツって、あまり量産にはむいてないせいでここ半世紀の間にひどく地位を落してしまったけど
家庭でのちょとした贅沢として作ってたころは美味しいものだったのだろうなあ、と
なんとなくエッセイひとつからドーナッツの名誉回復に至った昨今、
ついつい、暇があればドーナッツを揚げてしまうようになった。
年増の一人暮らしにしちゃ妙な趣味だ。


←文章のうまい人の書く食べ物の話っていうのは、読んでも食べても、楽しいね。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月12日

コーヒー店とお姉さん(小奇麗)

きゅうすスキッターというある程度ビンボ臭い道具を手に入れたお陰で
手持ちの薬缶で飛躍的にコクのあるコーヒーをドリップできるようになり、
私の中で人生何度目かのコーヒーブームが来ている。

【送料無料メール便専用】 急須スキッター 2個組 【smtb-k】【ky】

価格:218円
(2015/5/12 18:24時点)
感想(30件)



根気よく探せば自家焙煎したコーヒー豆を小売する喫茶店やら豆専門店やらは
案外たくさんあるもので
でかけるついでにあちらこちら、と足を伸ばしているうちに
家の周りで散歩がてら行ける距離にあるコーヒー豆店にはあらかた行った。

こちとらそれほど味覚嗅覚に秀でたほうではないから
ある程度以上の水準のコーヒーならだいたいどれもおいしく飲める。
それどころか、なんなら普段飲むようなコーヒーは、「ぼちぼち美味しい」くらいの
ざっかけなさにとどめておいてもらったほうがうれしいようなところすらある。
こっちは寝ぼけ眼で囚人服みたいな部屋着を着たまま、足に噛み付いてくる猫と闘いつつドリップしてるのだ。
豆のほうが命をかけて焙煎されたような代物だと、対峙する覚悟としてやっぱりちょっと困ってしまう。

そんなFURACHIなことを考えて日々のコーヒーを飲んでいる私ではあるが、
「これはこれは」
と思う豆を売る店が近所にあるのだ。

一番安い豆でも100グラム600円くらいするので、ここらの相場からすると
全般に少し高めの豆を扱う専門店なのだが、
この店の豆が実に見事な膨らみ方をする。

粉のうえにそーっとお湯を載せていくと幸せな香りのするきのこ型の泡がドリッパーの底からムクムクと湧いててきて、
またその綺麗な形の円形はたやすく壊れることもなく、こちらの注ぐお湯のペースにあわせて静かに息をするように大きくなったり小さくなったりする、
それは見てるだけで幸せになる光景だ。
私ごとき素人がちゃちな加工をした薬缶で淹れてなおここまで綺麗な膨らみ方をする豆というのは初めてなので、さすがに感動した。

店主は、どうやら私より少し年上の「こだわりの職人」風の人で、
小さな店を一人で切り盛りしてる。
ぎりぎりのスペースをやっと借りていろいろと無茶な改造をしたらしく、
屋内をやたら長い煙突が横切ってるので店が変な具合に暑かったりするのが
ちょっと面白い。

喫茶店ではないのだけど、数席程度の喫茶スペースがあって気になった豆は飲んでみることができ、
私も一度その喫茶スペースで店主の淹れたコーヒーを飲んでみたことがある。
ぼんくら味覚音痴にとっても、焙煎の香りに満ちた部屋の中で上手な人がじっくり淹れてくれたコーヒーを飲めるというのは、なかなかうっとりする時間である。

そうやってゆっくり時間をかけて美味しいコーヒーを飲んでいたときのこと。
狭い店内に女性客が一人でやってきた。
こちらだって女性一人の客なのだから、別に不審ってこともないのだけど、
休日にしてはえらいシャキっとしたお洒落をした感じだったのが、なんとなく気になった。
さすがに顔までは見なかったけれど、全体の雰囲気からして歳の頃30でこぼこのお姉さんだったように思う。
その小奇麗な雰囲気のお姉さんは入り口からすっと入ってきて、迷うことなく私の横をさっさと横切り、まっすぐ店の一番奥の小さなカウンター、店主の目の前に座ってコーヒーを頼んだ。

「うおっ、なんだなんだ。どういう関係だっ?」
と無意味に盛り上がる私。
お姉さんはちびりちびりコーヒーを飲みつつ、店主に話しかけてみたりしている。
店主はそれに答えるものの、一人で喫茶スペースと焙煎を切り回して
結構急がしそうにしているせいで
どうやらお姉さんの予想ほどはうまく話しが続いていない。
そうこうしているうちにお姉さん唐突にひとこと
「ここ、一人でやってて寂しくないですか?」

きたーーーーーっ!
コーヒーカップを持ち上げたまま息を止めて返答を待つ私とお姉さん(小奇麗)。

「いやぁ、別にそんなことないですよ」
撃沈する私とお姉さん(小奇麗)。

えーっ、なんでだよお、店主、積極的な女性は嫌いかね?
それとも奥様か恋人かいるのかね。
コーヒー屋さんと常連さんのカップルとか、小説みたいでなかなかいいと思うけど
駄目かねえ……
いや、でもあれはさすがにちょっと強引すぎたかもしれないな。
と思いつつ、帰りにブラジルを100グラム買って帰ったのでした。

ブラジル、軽すぎず重すぎず、大変香りよく美味しい豆でした。


←また経過観察に行きたい。


posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | コーヒー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

ヒンヤリして気持ちのいいもの

どちら様にとって大型連休とかいうものも本格的に終わりましたね。
皐月病っていう言葉もありますが、たしかに五月ってちょっと独特の疲れ方があったりしませんか。
寒くなったり暑くなったり
緊張したりほっとしたり
いろいろ波の多すぎる季節なんでしょうかしらね。

疲れた、とまで言うと言いすぎだとしても
「ああヤレヤレ」
くらいのテンションのときには、「拙者侍ダンディー」が嫌味じゃない程度の元気が出て好きです。

「道にチョークでアイウォンチュー」
のところを、気が付くと口ずさんでしまうのですが、
あまりにもせせこましくてうっかりしゃきっとします。



それはそうと、高野文子の新しい漫画を買いました。
ドミトリーともきんす
10年ぶりだかなんだか、えらく久しぶりの新作で、どうやらテーマが科学らしい、
っていうあたりまでは前もって情報を持っていたので
見かけたときに、おぉこれはこれは。
と思って買ってみたのです。

自然科学の本を紹介する漫画、という、噂どおりなかなか変わったものでした。
ドミトリーともきんす
帯裏に「科学の本ってヒンヤリして気持ちがいい」って書いてあるんですけども、
この「ヒンヤリして気持ちがいい」っていう感覚が、
なんとなく今の自分にものすごくフィットしまして面白く読みました。

「俺が、俺が」っていう欲を極力抑えてできるだけ気分の上下と関係ないところで世界と繋がりたい、
っていう思いがじわーっと染みているような、そんなヒンヤリ感。

ドミトリーともきんす

新品価格
¥1,296から
(2015/5/10 18:05時点)



スパッと正確な感じの絵もこれまた気持ちがよくって、しばらく手元においてひんやりしたいときに読み返していたい。

←紹介されてる自然科学の本に手を伸ばしたりするのが本来なんでしょうけども、これだけで満足してしまってたりする。
posted by 六条 at 18:00| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする